なんのために?
『大地のかおり茶』が形になるまで、今回、予想外に苦労しました。
予想外とは?
そう。過去にやったことがあるから、きっと出来るだろうと甘く考えていました。
常に良き理解者である母親は、「いつできるの? まだ?」という。
現状を一語りしていると、そばで聞くともなしに聞いていた父親がチクチク刺さる言葉を投げかけてくる。
「なんでそんなもん作りたいんだ?」
父親から見ると、私が何のためにそんなことをしているのか、不可解にしか見えないらしい。
言葉に詰まり、考えこんでしまう私。
「なんのために?」って、ずっと頭の中でグルグルしてる。
考えれば考えるほど、余計な言い訳とも思えるようなことばかり浮かんできて、「本音」から遠ざかっていくような感覚になる。
そもそもの原点は、「人を癒すものは自然界に用意されている」という思い。
その思いがなぜ起こったか?
おそらく、子供の頃、祖母たち(父方の祖母、母方の祖母、両方)の暮らしに触れ、身近な薬草を摘み、干してお茶にして飲むとか、傷に貼り付けるという民間療法が「普通のこと」だという感覚で育った。
クスリって、錠剤とかではなく、その辺の葉っぱなんだ。
というのが、私の中の真実。
大人になって、そこに知識と経験が紐づき、ますます真実味を増し・・・
これはみんなに教えてあげなきゃ。
おそらくそんなところかな。
祖母たちの記憶がなかったら、自然療法にここまで興味は持たなかったか、一時のブームで終わってかも知れません。
今の私の思考パターン、こだわり、何かをやりたい動機、そうしたものは、ぜーんぶ、「過去の記憶」によるわけだね。
決して特別なことではなく、祖母がドクダミの葉っぱを干して煎じてくれた、かつての日常の延長線上に、今の私がいます。
誰かから賞賛されるわけでもなく、儲かるわけでもないのに、腰をかがめて草を摘むおばあちゃんたちの面影に、強く情動しているようです。